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稲田隆紀の映画紹介

面白味はひとつではない――

『ポエトリー アグネスの詩(うた)』は韓国の匠イ・チャンドンが圧倒的な演出力で綴った、“詩する心”に至ったひとりの老女の物語。

 ポン・ジュノやナ・ホンジンをはじめ、実力派監督を次々と輩出する韓国映画界のなかにあって、先輩格イ・チャンドンはいささかも色あせず、群を抜いた存在感を誇っている。
 若い頃は韓国の民主化運動に参加。教師から小説家、さらに脚本を通して映画界に加わった彼は、1997年の『グリーンフィッシュ』で監督デビューを果たした。『ペパーミント・キャンディー』、『オアシス』など、力作を発表して世界中から注目を集めるが、2003年には一時、映画界を離れ、日本の文化庁長官にあたる文化観光部長官に就任。映画のみならず、韓国文化の振興に尽力した。この要職から、一介の監督に戻り、2007年に『シークレット・サンシャイン』を発表。同作はカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、ヒロイン役のチョン・ドヨンに主演女優賞が与えられている。続いて2010年に製作された本作もまたカンヌ国際映画祭コンペティション部門を賑わし、脚本賞を手中に収めた。
 どの作品も韓国の庶民たちの姿をみすえ、大きな問題意識を内包しつつ、圧倒的なストーリー構成力で勝負。監督としての個性、物語る力に秀でたイ・チャンドンの映像は人間の在りよう、社会の現実をリアルにとらえ、みる者を画面に惹きこむ。本作も例外ではない。

ポエトリー アグネスの詩
『ポエトリー アグネスの詩』
2月11日(土)より、銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
配給:シグロ、キノアイ・ジャパン
[コピーライト]2010 UniKorea Culture & Art Investment Co. Ltd. and PINEHOUSE FILM.

 ヒロインは66歳になっても、少女らしさを残した女性ミジャ。介護ヘルパーの仕事をしながら釜山で働く娘の代わりに中学生の孫を育てているが、最近、物忘れがひどく精密検査を受けるようにいわれる。
 病院からの帰り道、川に身投げをした女子中学生の母親をみかけたミジャは、ふと詩作教室の募集に心惹かれる。子供時代に詩をほめられたことを思い出し、彼女は教室に通いはじめる。詩作の講師は「詩は、見て書くもの。人生でいちばん大事なのはみること、世界を見ることです」ということばにしたがって、ミジャは生活をみて、ことばをノートに書きしるすようになる。
 そんな日々を送るミジャに、孫の仲よし6人組の保護者から衝撃的な事実を知らされる。身投げをした女子中学生は6人組から性的な暴行を受けていたというのだ。保護者たちはみなで金を出し合って慰謝料で収拾する腹づもりだったが、ミジャにまとまった金などあろうはずもない。
 孫は無関心を装い、ミジャは洗練名をアグネスという女子中学生のミサにそっと顔を出して以降、次第にアグネスの足跡をたどるようになる。
 ミジャにとっては詩作教室にいるときが充実した時間だった。だが、精密検査に行った病院で、彼女はアルツハイマー病の初期と診断される。記憶やことばが消えてしまう恐怖のなかで、彼女は介護をしていた老人の“望み”を叶える代わりに示談の金を工面するとともに、孫のためにひとつの結論を導き出す。そうしてミジャは一篇の詩を完成させた……。

 イ・チャンドンは10代の少年集団が数カ月にわたって性的暴行を加えたという、韓国で実際に起きた事件をモチーフに、あえて加害者の親族という立場から描く設定に仕立てた。性犯罪は社会のモラルと深く関連しているがゆえに、監督の心に衝撃を与えたのだが、それを単なる告発調にしたくなかったのだという。それにしてもヒロインを、物忘れに悩む乙女チックな老女に据えた発想に脱帽したくなる。
 認知症という記憶やことばを失っていく病を抱えながら、生まれて初めて“詩する”ことに挑戦するヒロインの姿をこの上なく繊細に紡ぐ。彼女を取り巻く環境は、苛酷で重いものだが、冷徹で真摯なイ・チャンドンの語り口に引っ張られ、画面から目が離すことができなくなる。登場人物はいずれも善良なのに小ずるく、賢そうで愚か。長所も欠点もある、まこと現実世界にそのままいるようなリアルな存在だ。そうした人々がしでかしてしまったことの収拾に奔走する姿が、ある種、諦観にも似た眼差しで浮き彫りにされている。みていくうちに、次第にヒロインの思いと一体化し、戸惑いのなかから深い共鳴に至る。この作品が韓国に留まらず世界各国で評価されているのは、ミジャを通して自分をみつめることが促されるからに他ならない。まこと、自分のモラル、良心を問われる構成なのだ。
 と同時に、イ・チャンドンは詩作と映画製作の心についても問いかけている。美というものを際立たせる表現でありながら、あわただしい日常では省みられることが少なくなっている状況のなかで、どうあるべきなのか――。イ・チャンドンの力強く繊細な映像がその思いをくっきりと焼き付けている。

 出演者もリアリティにみちた存在が選りすぐられている。ミジャ役には1960年代から70年代にトップスターとして君臨し、出演作が330本を誇る往年の女優、ユン・ジョンヒ。16年ぶりの映画出演となるが、実年齢と同じキャラクターの心情を巧みに演じきる。どこか少女らしさを残した風情や、介護老人にみせる凄絶な色香もふくめ、まさに彼女でしか表現できないものだ。この役で韓国内の映画賞を総なめしているのも頷ける。
 彼女を囲んで、往年のアクションスターのキム・ヒラ、『オアシス』のアン・ネサン、『冬の小鳥』のパク・ミョンシンなど実力派が陰影に富んだキャラクター演じている。

 イ・チャンドンの演出力が生み出す世界は、まさに映画という表現の魅力に富んでいる。これは注目していただきたい作品だ。



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